滋賀県大津市八屋戸に工房を構える「中川木工芸 比良工房」を見学させていただきました。
「中川木工芸 比良工房」は「中川木工芸」の三代目、中川周士氏の工房です。
木桶の製作技法は約700年前に室町時代頃より大陸からその技法が伝わり、江戸時代頃に日本各地で盛んに使われるようになったそうです。
中川木工芸では、その当時から受け継がれる伝統的な木桶の製作技法を用いて、桶にまつわる美しい木製品を数多く製作されています。三代目中川周士氏は2003年に独立し、現在では大津市八屋戸に工房があります。
※中川木工芸は京都の老舗「たる源」で修業を積んだ祖父が京都の白川に工房を構えたのが始まりで、現在は周士氏の父によって継承されています。
見直される木桶
木桶は江戸時代に全盛期を迎え、長い間家庭で親しまれていた時代が続きました。しかし、高度成長期の頃からプラスチック製品の登場により、木桶も家庭から減っていきました。
しかし今は改めて木桶の良さを理解し、大切に使いたいという人もいるため、幅広い世代から支持されています。
工房を入るとすぐに美しい作品が目に飛び込んできました。思わず「キレイ」と声に出してしまうほどです。色や形の美しさはもちろん、木の温かみや透明感を感じます。
すし桶、ワインクーラー、カトラリーケースなどがありました。
また見た目の美しさだけではなく、熱や冷に対応できる品質と機能があるからこそ魅力があります。木の繊維や伸縮率、外側と内側の細かい点まで配慮されています。
作業場を見せていただく
1階は丸太を割る場所として使用されており、銑(セン)や鉋(かんな)など桶づくりに必要な道具が壁一面に並んでいます。
曲線を描いている道具「銑(セン)」は、作る作品の丸みによって種類が異なります。また、その丸みを出すために削る銑は内側と外側でも異なるため、それぞれ組みになるように道具が備えられています。
まずは、丸太を割り出して、削って丸くしていく作業がはじまります。
「木はストローの束のように繊維の束であるため、管にひびが割れると中に水が漏れだしていく。繊維自体に傷がついていない状態が一番水に強い状態である。木を扱うにあたって理に適っているので、その繊維を壊さないように削り、正目だけを使用していきます。」と中川さんが教えてくださいました。
2階では、作品をさらに形を整えていくための、銑や鉋があります。また2階は湿度を微調整しながら、環境を整えながら作品がつくられます。
湿度調整のため、水分を抜くため除湿機を使用し、布団乾燥機で保水率だけをさげるなど、1階での作業と2階で作品を完成させるまでには水分量は半分ぐらいまで下げるそうです。
海外では日本より湿度が10%ほど下がるそうです。海外との湿度変化で作品の状態が変わってしまうことを防ぐ為にも細かく調湿されているそうです。
実際に削る作業工程を見せていただいたり、とても貴重な作業現場と工程を見せていただきました。
新しい可能性と継承
中川さんの工房では桶の製作やメンテナンス作業はもちろん行いますが、新たな桶も挑戦されています。
例えば、あらゆるデザイナーや将来を見据えた家電のプロジェクトなどの活動にも携わり、桶の新たな展開を日本だけでなく海外にも発信しています。
今、この世に無い物をつくることは大変困難であるというお話しも中川さんからお聞きしましたが、その難しさもとても楽しんでいる様子が伝わってきました。
中川さんのお話しで、「桶づくりの作業工程は、やはり手作業ですることが一番良いことが多い」ということをおしゃっていました。
道具が進化していく中で効率的でメリットが生まれることも、もちろんあるそうです。
「ただし、新しい方法を取り入れながらも、質は変えずに取り入れていく。何百年と受け継がれる技術は時間をかけて習得すべきこともあれば、現在の道具に頼って良いところがあればそれは頼るべき。祖父や父の時代では、手習いの頃には今の10倍ぐらいの作業があり、1年分の身体でこなすと10年かかる経験不足を補わなければいけない。
習得を少し効率化できる部分は効率化する事も伝統を続けることに必要なこと。」とおっしゃっていたのは印象的でした。
何かがなくなれば、また何かがなくなる
今回、中川さんの工房を見学させていただいた中で多くの道具がありました。
桶づくりに欠かせない、銑(セン)や鉋(かんな)は鍛冶屋さんでメンテナンスをしていただくそうです。
桶やの件数は、約70年前は250件ほどあったお店も今では3、4件に減っています。つまり道具を使うお店がなくなると、道具をつくり出すお店やメンテナンスをするお店もなくなる。そうすると、つくりたくても道具が揃わなければつくれなくなります。
あらゆる業種の相互関係によって生まれ、守られていることが伝わります。
木桶が改めて日本に根付き、また世界に発信されていくことがとても楽しみです。