イタリア生活で見つける「びとくらし」
イタリアでの日常生活の中にある、すこしだけ幸せに感じたり、すこしだけリラックスできたりするような「びとくらし」的な出来事を、マルケ州アンコーナ住まいのライターが紹介します。
イタリアに暮らす彼女の話しを聞いていると、度々、イタリアでは日本と全く違う時間が流れているように感じることがあります。しかもとても豊かな時間でした。時間の流れの違いの中に豊かさの理由が隠されているように思えてなりません。ぜひ、この理由を一緒に探してみませんか?
日本好きな人は多い
今日は月曜日でした。
私の生活パターンの中で、月曜日は基本1日フリーの日ですので、午前中から週内にやりにくい行事を予定してることが多いです。
今日でいうと、午前中は朝一番に日本とSkypeをつないでビデオ会議、そして午後は病院へ。病院での診察はこちらでは基本的に全て予約が必要で、私が今回訪れた理由は「子宮がん検診」のため。40歳以上の女性を対象に、2年に一度、検査を無料で受けることができます。
因みに乳がん検査のためのマンモグラフィに関しては、50歳から69歳までが無料受診期間。この期間設定を伸ばすことが可能で、州の決定で45歳から無料で検診が受けれることもあります。現に全20州の内6州で実施されているようなのですが、マルケ州では通常通りということで、無料で検診を受けるには私はまだもう少しだけ待つ必要があります。
話しが大きく逸れました。
婦人科で検査をしてもらうわけですが、今回が初めての訪問だったので担当してくださるお医者様もお会いするのは初めて。
そのお医者様は予約表から私が日本人であることを知っておられて、診察室に入った瞬間から「あなた日本から来たのね!わたし、日本という国に魅入られているのよ」という嬉しい言葉から会話が始まりました。まぁ、話題の中心は「SUSHI」についてでしたが。
日本からイタリアに移り住んだことを伝えると、多くの人が、日本という国のことを本当に褒め称えてくれます。その多くは「歴史がある」「清潔だ」「全てが整然としている」「電車が時間通りに動く」などなど。確かに海外に向けてクローズアップされがちな日本の魅力ですよね。
そしてみんなから聞かれるのが「日本とイタリアのどちらが住みやすいか」。
会話の流れは日本アゲ、イタリアサゲなので、彼らとしては祖国日本が住みやすいという答えを待っているのでしょうが、私の答えはいつも「どちらも住みやすく、甲乙はつけがたい」というもので、これはここに来てから不思議とずっと同じ感覚を持ち続けています。
石の上には3年ですがイタリアには何年?
さて、日本を出てここイタリアでの生活もようやく5年が経ちました。
最初は日々降りかかってくる想像だにしたことが無かったイタリアらしい不都合なことに対して右往左往していましたが、ようやくドンと構えて受け止めることができるようになってきたように思えます。
言葉の問題もかなり解消されたことと、暮らしのペースがイタリアにようやく順応してきたのでしょう。
住む場所によってルールやリズムが違うことは当然なこと。
頭ではそのことは理解できていても、合理性や必要性など自分が今まで持っている価値基準によって心では受け入れられないものなのです。
様々なメディアで異国での暮らしぶりなどは簡単に垣間見ることは出来ます。
日本にも海外から多くの方がやってきていますので文化交流も可能でしょう。
でも、その地に赴き、そこに住む人たち同じ空の下、同じものを食べ、同じ時間を過ごすことで、人としての基準線の様なものが書き換えられ、徐々にその地の基準線に融合していく、そんな感覚を受けています。
私の日本人としての基準線がイタリア暮らしの基準線に近づくのに、5年かかったということです。
石の上にも3年という諺から見ると長いですね。
はたまた、それは私のせいなのか、もしくはイタリアのせいなのか?
暮らしやすさってなんだろう
ここで綴らせて頂いているエッセイの中でも、イタリアでの生活の難しさや、わずらわしさ、日本との違いなどを書いてきました。
とにかく自分が大好きで、他への配慮に欠けることがあり、マザコン(特に男性)気味で、挙げだすと共に暮らす相手としての不都合ポイントをすらすらと書けてしまうことが恐ろしいのですが、不思議と暮らしづらい、と感じたことはありません。
不便なことは本当にたくさんあるのですが、その不便さが彼らの思考回路や生活様式にピッタリとあてはまっているので、なるほどと納得してしまうからなのでしょうか。
イタリアはヨーロッパ連合の中では貧しい国から数えたほうが早い位置にありますが、世界的に見るともちろん先進国で物質的にも豊かな国だと言えます。
ですので、暮らしやすくて当然だと思われるかも知れません。
ただ、物質的な豊かさやインフラの整備具合といった数字で見える比較ではなく、人と人とのつながりが密で常に会話を楽しみ、時間の流れにも鷹揚としている彼らの生活スタイルそのものが、気がつけば心地よく、私にとってイタリアでの暮らしやすさの原点になっているのではないかと思えます。
そして、今日もメールの返事を3通ほど待っているのですが、戻ってきそうにありません。
また明日まで待てばいい。
明日も来なければその時にもう一度考えよう。
こんな調子で過ごしていると、次の5年も一瞬で過ぎてしまいそうです。