イタリア生活で見つける「びとくらし」
イタリアでの日常生活の中にある、すこしだけ幸せに感じたり、すこしだけリラックスできたりするような「びとくらし」的な出来事を、マルケ州アンコーナ住まいのライターが紹介します。
イタリアに暮らす彼女の話しを聞いていると、度々、イタリアでは日本と全く違う時間が流れているように感じることがあります。しかもとても豊かな時間でした。時間の流れの違いの中に豊かさの理由が隠されているように思えてなりません。ぜひ、この理由を一緒に探してみませんか?
ちょっとあまのじゃくなイタリアのおまじない
5年住んだだけではまだまだ慣れないイタリアの常識が多くある毎日です。
先日もこんなことがありました。
仕事先で一緒に働く女性の息子さんが大学受験をするとのこと。私たちの街からは遠く離れたミラノにある有名な大学への進学を目指し、試験の為に一人でミラノまで向かうことが話題になりました。
イタリアでの進学システムは日本と異なりますが、質の良い学問を積むことが出来る大学で学び、良い成績を残すことは、イタリア国内はもちろん欧州をはじめ海外で活躍するにはとても重要となります。
わたしの夫が言うには、彼が大学に通っていた20年前とは異なり、多くの学生が良い大学へ通う為に親元を離れるよになったとのこと。日本と違い「新卒採用制度」は無く、大学を卒業したからと言っても職にありつくことが難しい状況が続いていることから、このような状況を生み出しているのでしょう。
さて、彼女の息子さん、仮りに名前をマルコとしましょう、その彼がミラノに経つ朝に「マルコなら大丈夫!合格間違いないよ」と母親である彼女に言ったところ、間髪入れず鬼の形相で「駄目よ!そんなこと言ったらだめ!」とたしなめられてしまいました。
日本ならば、願いや祈りを込めて未来に起こりうる幸運について言葉に出して励ましたり会話することが当たり前なのですが、イタリアではこの行動はタブーであり、逆に不幸を呼び込む、幸運が実現しなくなる、と考えられています。
日本でなら、言葉には魂があり実現したいことを言葉にすることで「その言葉に命がやどる」と考えられ、言葉を大切に扱うことが意識の根底あります。イタリアでの言葉の捉え方は日本人のものとは相対するようで、そう考えてみると、確かにイタリア人の会話では私達日本人にとっては「嘘」の範疇になるほどの創作があったり、不確かな内容であってもまるで本当のことであるかのように伝えられることが常です。
発せられれる言葉に対する受け手の捉え方が日本とイタリアでは全く異なるものなのかも知れません。
知らないより知っているほうがうまくいくかも
日本でもゲン担ぎやおまじないなどはありますが、イタリアではおまじないや迷信的な事はScaramanzia(スカラマンツィア)と呼ばれ、おまじない好きなひとScaramantico(スカラマンティコ)な人たちも多く存在しています。
イタリア、特にナポリ土産で唐辛子の形をした真っ赤なキーホルダーをもらったことがあるかたいらっしゃりませんか?これ、実は唐辛子じゃなくて「角」なんです。どうみても唐辛子なのですけどね。他の方からプレゼントされると魔除けになるのだとか。
その他にも新年を迎える時は、赤色の下着を身に着けると良い年になるとも言われています。ですので、クリスマスのプレゼントに赤色のパンツを渡したりすることもよくあります。
夢占いも人気で、Smorfia napoletana と呼ばれるものでは、事象や物事によって数字が割り振られており、その日見た夢の内容を数字で表しその数字を掛け合わせて宝くじを買う行為もよく見受けられます。
夫がもっとも怒った私の行為のひとつに、室内で傘を開ける、という行為があります。日本では傘を乾かすためにも、室内で傘を広げておく場合があるかと思いますが、こちらではこの所作は不幸を呼び込むものとして忌み嫌われているのだとか。お店で新しく傘を買うとき、開けてみたくなる衝動はしっかり抑えるようにしないといけませんね。
さて、話しを先ほどのあまのじゃくな「おまじない」に戻します。
未来に起こりうることを言葉にして表現することは嫌がられると紹介しましたが、どの様な言葉をかけるのがこの場合は正解なのでしょうか。
それは「うまくいくことを願っているよ」や「幸運を祈るよ」という、あくまでも主語は自分である言葉をかけることが必要です。そう、相手の未来を具体的に表現しないことが大切なようです。
最後に、このような場合に掛ける便利なイタリアンフレーズを皆さんにご紹介しておきますね。
それは、IN BOCCA A LUPO / インボッカアルーポ (オオカミの口の中へ)です。
試験を受けに行く人など、何かに挑戦する人に最適な言葉で、「(あえて)困難の中に身を投じろ!」と言う意味合いになり、頑張れ!困難に打ち勝て!という思いが込められているのだとか。
自分にふりかかる不幸や困難をすぐに周りのせいにしがちなイタリア人たち。
希望通りの結果を得られず、逆恨み的に相手から責任を擦りつけられないようにするためにも、このフレーズが自然に口に出るように練習しておくことをお勧めします。