一人暮らしを始めるとき、母から譲り受けた木べら。
私に引き継いでから10年を優に超えてしまいました。
私の木べらの出会いは、私が社会人になり、一人暮らしを始める時です。
一人暮らしの準備はできる限り費用も物も最小限で準備をしたかったので、様々な必要な道具を出来るだけ実家から調達しようとしていた私でした。
料理道具で家に余っている物は無いかなと物色していた私に母が差し出してくれた物が今回の「木べら」です。
今では少し形が変わり、薄く、周囲も少し削れてしまっています。
母からは「大事に使ってね、勝手に捨てないでね」と渡された、木べらです。
何か思い出があるのか、誰からか譲り受けたのかな?長年使用してきた大切な物なのかな?など詳しくは聞かずに「はーい、わかったよ」と軽い感じで私は返事をしました。
そして一人暮らしを始めて、料理をする時にはこの木べらを使用しながら、たまに母に言われたことを思い出していました。
「大事に使ってね、勝手に捨てないでね」
母が大切にしていた物という思いをどこかに感じながら使っていました。
そして年月が経ち、ふとある時に、私の家で母がその木べらを見つけました。
「まだ、これ使ってるの?」と母が言い、
私が「そうそう」と答えました。
そうすると母は「買い換えたら?」とあっさり一言言ったのです。
私は一瞬、間が空き、拍子抜けしてしまいました。
「え、お母さんが大切に使ってねといって、勝手に捨てないで、と言ったから大切に使ってるんだけど。」と私が言うと、
さらなる母の一言は「そうだっけ?」という返事が返ってきました。
「そんなもんだよね。(笑)」
と何となく心の中でひとりで納得して笑ってしまいました。
それでも一人暮らしを始める時にこの「木べら」を譲り受けた時の思いはいつの間にか私の一つのパーツになっていたように思います。
また新しい物語が続いていく、最後使えるまで使おうと改めて思いました。
「物」のものがたり
「ものがたり」を漢字で書くと「物語」となります。
私はふと「なるほど」と勝手に納得してしまいました。
「物」は単なる「物」の状態であれば、思い出や思い入れはありません。
「物」の「物語」のゼロ地点のような気がします。
手にするまでにすでに物語が始まっている場合もあれば、手にしてから物語が始まる場合もあります。
それが繰り返し使われ、日常が積み重なり「思い出」になっていきます。
初めはゼロ地点「物」がいつしか、だんだん大きくなっていきます。
その「物」が語れるほどに思い出となり「物語」となる。のかな。
その積み重なった「物」、もしくは何も物語もない「物」どちらがどんな物かきちんと判断できなければ、物は次から次へと舞い込んで来て優先順位を間違えてしまうことになりかねないと、お片づけの仕事に携わらせていただくと感じます。