日本から出て知った大切なこと、そして折形との出会い
日本には数多くの伝統文化が継承されています。
私達の生活で自然と受け継がれ、その由来に気づかず慣れ親しんでいるものも多くあり、
その一つに「折形-おりかた」があります。
「折形-おりかた」は、あまり聞き慣れない言葉かもしれませんが、実は日本人としての私達の生活やアイデンティティにも深く関係している伝統文化です。
“少しでも多くの人にこの「折形-おりかた」を知って欲しい“との思いで、折形の文化を学び広める活動をされている小池博美さんに、その想いや魅力についてお伺いしました。
折形は暮らしの中にあり、現代の暮らしに合った「折形」がこれからも私たちの暮らしをより、豊かにしてくれるものだとの思いも「折形」にのせて伝えたいメッセージです。
「暮らしのそばにある折形-おりかた」では、お伺いしたお話しをインタビュー形式で毎月お届けします。
インタビュー第一回 日本の「つつむ」という生活文化「折形」もあわせてお読みください。
-今でこそ不自由は少なそうな海外生活ですが、当時の様子はいかがでしたか?
最初は日本人のコミュニティがある街での生活で、先に住まわれている先輩にあたる日本人の方も多くいらっしゃり、日本語で生活できましたので特段不便は感じませんでした。
でも、その後に田舎街に引っ越すことになって。日本人は街で私たち家族のみという状況。
言葉もわからず最初は本当に大変だったのですが、現地の方々が本当に親切にしてくださって、今思い出してもその時のみなさんの対応には感謝しかありません。
「思い立ったら恐れず実行する」という私自身の性格もあって、大変なこともありましたが辛い毎日ではなったのは確かです。
ありがたいことに、日本文化に対して興味を持ってくださる方が本当に多くて。
彼らの和食、ひいては日本文化に対する敬意を払ってくれている気持ちがひしひしと伝わってきたので、その思いに応えるべく、色々と準備して学校の生徒の皆さんに和食を教えに行くこともありました。
人との付き合い方においても「距離感の心地よさ」を感じることが出来ました。
日本人同士だと互いの性質がわかっているがために、どうしても他人との距離が近くなりすぎる傾向があるように思います。
それが日本を離れた場所での生活で、その距離が程よく保たれていて私には快適に感じられました。
違う文化の中に身を投じることによって、良しにつけ悪しきにつけ、日本の習慣の本質を見ることが出来たと言えるのではないでしょうか。
この海外での生活で、日本人ではない他国の方の思考の常を知ることができ、日本人が日本人たる所以であったり、日本人のアイデンティティへの自分なりの理解が深めることが出来たと実感する次第です。
-「折形」との出会いはどんなものだったのでしょうか?
生まれ故郷の岐阜を離れて、中部地方、関西、そしてアメリカに住み、そして日本に戻ってきたときに
私は自然と岐阜で生まれた証しを残したいと感じました。
振り返ると、それはアメリカでの暮らしが大きく影響しています。
アメリカは移民の多い国です。
その為、様々な自己主張があります。それは単なる自己主張ではなく、民族の主張でもあるということなのです。
彼らと接する中でプライドを持ち、自国の文化や伝統を重んじて暮らしに取り入れてることを強く実感しました。
そのアメリカでの暮らしの印象を強く持ったまま日本に帰国したわけですが、「岐阜県」で生まれたの自分の「足跡」を残したいと感じるようになり、ふと「和紙」のことを思い出したのです。
その和紙を使って表現できることを探しはじめ、そのときに出会ったのが「折形」でした。
– ご縁とでも言いましょうか、素晴らしい出会いを引き寄せられましたね。
後にお話させていただきますが、「折形」は単に和紙を折る方法を伝えるだけではなく、紙の選び方や折り方、包み方、その使用法によって礼儀や作法、たしなみを表現すること、
そして相手のことを思いやりながら、包むということは物を包むという事と同時に心を包んでいる。とても奥深いものなのです。
次回は今のご自身の折形への取り組みなどをお伺いしたいと思います。
<お話しをうかがって…>
運命の出会いは人と人だけではなく、人とモノや文化にでも存在するということがよくわかりました。ただ、求めることが大切で、待っていても素晴らしい出会いはやってきません。運命的な出会いを逃さないためにも、いつでもアンテナを立てて、フットワーク軽くいたいものです。
(聞き手と書き手:Atsuko Niwa)
小池博美さんのお教室が阪神電車西宮駅にある喫茶部ガレージにて開催されます。
ご興味のある方はぜひご参加ください。
【お教室】折形(おりかた)−暮らしの中で愉しむ季節の折形−
詳細はこちらのブログを御覧ください。[ブログはこちら]